The Blue Note-Books

ジャーナリスト森健のブログです。
http://moriken.org
北米の日本人ハーフアーティストたち
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     YouTubeが広がりだしてから、オバマ・ガールの登場やオバマチャンネルからの個人献金の急拡大など、社会全体にも変化が起きている。この動画による情報発信の変化はもっとこの先(秋の米大統領選などはとくに)大きな変化をもたらしそうだ。
     それについて話しだすと長そうなのでまた今度に。
     今日書きたいのはそういう社会系ではなく、音楽の話。この音楽のほうでも、YouTubeをきっかけにいろんな人がデビューしている。

     で、この分野に関して、海の向こうでは日本人ハーフがかなりがんばっているのだ。
     しかも、みんないい曲をつくっている。

     その筆頭となるのは、今春米国でCDデビューしたMarie Digbyだろう。発音はマリーではなく、「マリエ」。向こうのテレビや新聞などのメディアでも「YouTubeが生み出したスター」ということでかなり取り上げられたので、ご存知の人もいるんじゃないかと思う。
     彼女は昨夏に気がついてすぐ定期購読に入れた。基本はギターかピアノの弾き語り。RihannaのUmbrellaやLinkin ParkのWhat I've Done(この曲のカバーで知った)など著名アーティストのカバーをしていて、そのカバー曲のほうでYouTube上で話題になった。でも、自分のオリジナル曲もまた折々で発表し、次第にそちらのほうでさらなる評価が上がっていった。

     ぼくもどれもいいなと思っていたら、向こうのレーベルから正式なデビューとなった。
     曲調がSheryl CrowとかMIchell Branchとか、ナチュラルトーンのロックがベースなので、それだけでとても好きなのだけれど、YouTubeを見るかぎり、一般人感覚も忘れていないし(まぁそれがルーツだし)、性格も非常に親しみやすいところもたくさん出ていて好感がもてる。熊本のお婆ちゃんの家に帰ったときには庭や仏壇、近くの神社などを紹介しているところもなんというか、まさに半分日本人っぽいし。
     いま検索したら、どうも日本盤ではエイベックスからデビューするらしい。
     ぜひ売れてほしい。

     その彼女よりもひと足早くデビューを果たしているのは、Justin Nozuka
     彼の場合はYouTubeに登場以前から向こうでは注目されていて、デビューの話があったようなので、YouTubeデビューではない。
     でもYouTubeでもたしかにすごい数がヒットされている。
    http://youtube.com/watch?v=hgGkJez6pcM
    (埋め込み不可)

     声に独特のねじれ感があって、それが彼の歌をきわだたせていて、非常にいい。いま調べたら、なんとフジロックにも出るらしい。日本語が話せないけれど、父の国なので来たかったとEMI JAPANのページに書いてあった。

     YouTubeのヒット以前から、ウェブ保存サイトInternet ArchiveのArts&Audioや、いまはなき高画質サイトStage6などで人気を誇っていたウクレレ(ハワイアン)ミュージシャンのJake Shimabukuroもかなり有名な日本人ハーフだろう。
     どれくらい売れているのか定かじゃいけれど、少なくとも、Stage6があった頃は彼はしょっちゅう閲覧トップに食い込んでいたのだから、人気があると言っていいだろう。
     当時Stage6にアップされていたのがいまもYouTubeに残っている。


     それからまだマイナーだけれど、昨秋YouTubeで一時期すごいビューを誇ったのが、Goh Nakamuraだ。
     切ない曲調に加え、ボーカルがダブルトラックですこしブレさせている感じ、さらにサンフランシスコのサービス業で低賃金で働く若者のことを歌った歌詞と幻想的なビデオと、いずれもすごくマッチしており、かなりの評判だった。

     公式サイトによると、彼もいまは自主レーベルからCDデビューを果たしたらしい。

     並べてみると、いずれもフォークやレイドバック系だ。
     以前からロスで活動しているRay Sandovalとかは2世ではなく3世。情熱的で叙情的な曲調が多い彼の場合はスパニッシュギターとかチカーノ系に入るのかもしれないけれど、それでもフォークやレイドバック系と言えなくもない。

     それが日本人ハーフアーティストの特徴だと言ってしまうと、括りすぎかもしれないけれど、そういうのが好きだと言える傾向はあると思う。
     いずれにしても、こうして世界で広く認められ評価を受ける日本人ハーフが増えるのは(しかも個人活動の延長線上で!)うれしいものだ。
     
     ※そういえば、Linkin ParkのMike Shinodaも日本人ハーフでしたね。彼はフォークやレイドバック系ではないけれど。

    | culture | 00:25 | comments(1) | trackbacks(0) |
    So it goes...
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      Vonnegut.com また一人、大事な人がいなくなってしまった。

       ついいましがた表示されたニュースで知った。作家のKurt Vonnegutが亡くなった。享年84歳。記事によると、数週間前に転倒した際に脳にダメージを負ったことが原因らしい。
       それでも84歳まで生きたのだから、ほぼ同世代のPhillip K. Dickと比べれば十分すぎるくらい十分かもしれない。

       Vonnegutは、自分の構成要素としては欠かせない人だ。
       はじめに読んだのは『チャンピオンたちの朝食』だった。あまりに散文的な構成でわかりにくく、いったん放り投げかけたが、その途中途中で挟み込まれる劇中作家のKilgore Troutの物語がおかしくて最後まで読みつづけた。スローラーナーである私は、最後にいたってようやく彼の真意に気付き、慌てて再読した。それから彼の本はすべて読むことになった。
       いまではこの『チャンピオン〜』と『母なる夜』、『ジェイルバード』、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』はボロボロになっている。いずれも何度読み返したかわからない。

       彼の作品で通底するテーマは、(多くの優れた作家がそうであるように)どの作品でもあまり変わりがない。繰り返し繰り返し、同じテーマを複層的に語っている。
       戦争がバカげたことであること、脳内のちょっとした化学物質で人はおかしくなること、よかれと思ったことが災いにもなること、おカネが有害なものになりうること、世の中の価値観はかなりいい加減なものであること……。
       そして、愛よりも親切のほうが大事であること。
       そんなテーマが時代や場所や物語を変えて、何度も語られた。いずれもひとつのパラグラフにアイロニカルなユーモアを忍ばせており、読み進むうちは頻繁に腹を抱えさせれる。
       ストーリーの中で揶揄される対象は、政府、財閥、軍部、選挙、栄誉……と文明社会で基盤とされるもので、笑っているうちにそのシステムがもっているおかしさに気付かされる。
       だが、最後にはたいてい切ない結末が待っている。そして、読者はページの道々で彼が語ろうとしていたことに気付かされる。
       いまから20年ほど前、まだ青く多感だった頃、私が彼の作品から教えられたものはかなり大きい。

       Vonnegutを読んでいてとても好ましかったのは、自らが生み出したキャラクターが作品を越えて登場するシステムだったことだ。
       作家のキルゴア・トラウト、富豪のエリオット・ローズウォーター、画家のラボー・カラベキアン、弁護士のマタハリ(だったかな?)……。ある作品では主人公を務めたキャラが別の作品では脇役として登場する。ファンの読者からすると、そうした人物が出てくると「あぁ、あいつじゃん!」と親しみが湧いた。
       これは手塚治虫(彼も自分の重要な構成要素の一人)のスターシステムの方法と似ている。ひげおやじ、ロック、ケン一くん、ゲタ警部、スカンク草井、ハムエッグといったなじみのキャラが出てくるたびに、だいたいどういう存在かがわかる。
       こういう仕組みは映画の世界では顕著にある。Woody AllenやHitchcock、黒澤明……。その気持ちはよくわかる。そのキャストに思い入れがあるのみならず、作りたい世界が明確にあるために、キャストの像もはっきりしているのだ。
       実際、Vonnegut自身、劇中作家のキルゴア・トラウトに並々ならぬ思い入れがあったことは『タイムクエイク』で告白している。

       2年くらい前はシカゴトリビューンだったかでウェブでも連載をしていて、ブッシュのイラク侵攻にも痛烈なアイロニーを込めて寄稿していた。老いてなお意気軒高だなぁ(しかもいったんは断筆していたのに)と、その作家魂に打たれていたものだ。
       それからしばらく見なくなってしまったが、突然今日の知らせを見ることになった。
       できれば、つまり、何かの機会さえあれば会っておきたかった一人だった。でも、残念ながらその願いはかなわなかった。

       いま彼のウェブサイトを見たら、黒枠に飾られて、扉の開いた鳥カゴの絵が描かれていた。
       Vonnegutはとうとう地球(現世)という鳥カゴから飛び出したジェイルバードということなのだろう。エスプリもきいた意味の深い絵だと思う。
       思えば、彼の作品では、たいてい最後には主人公は解放された世界へと旅立っていた。『スローターハウス5』しかり、『タイムクエイク』しかり、『ガラパゴスの箱船』しかり……云々。
       今ごろは母や姉や父や叔父、そしてトラウトらと、テーブルを囲んで笑い合っているのかもしれない。
       
       代表作『スローターハウス5』では、劇中で死者が出るごとに、その多さに諦めを込めて「そういうものだ(So it goes)」というフレーズが(しつこいくらい)記されていた。
       さっきいくつか検索してみると、すでに同じようなことを書いているブロガーや記者(英Guardian紙)がいた。
       ここは先人にならって、私も書いておきたい。
       そういうものだ。と。
      | culture | 22:31 | comments(1) | trackbacks(0) |
      safe and secure society !
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         先日ようやく時間ができたので、遅ればせながら『スターウォーズ・エピソード3』を見に行った。もう終わり間際だったこともあり、劇場はすっかりガラガラ。ダース・ベイダーやクローン・トゥルーパーなどのかぶりものをしている人などいるわけもなく(当然だろ)、むしろ暑さを逃れてヒマつぶしに来ているような人ばかりで、さっぱり盛り上がりに欠ける感じだった。
         そんな環境のせいばかりではないだろうけれど、映画を見ての評価は……残念ながら70点くらいという感じだった。冒頭の戦闘シーンなど映画的におそろしく臨場感があったり、あの時間内にあらゆる辻褄を詰め込んだところは監督の面目躍如というところだが、いかんせん「彼」が変転する根拠が弱かった。それくらいで変わるものなのか、という丹念に描かれるべき心象描写が甘かった──ところがなんとも惜しい。
         ただ、それ以外に感心するところはいくつもあった。たとえばそれは現実の社会に対する痛烈な風刺だ。
         たとえば、そのひとつは、パルパティーンが共和国を帝国に変えると宣言する際、「we are recontructing the republic into the first galactic empire for safe and secure society !」(台詞はうろ覚え)と叫んでいたところ。「safe and secure society」という言葉を使えば、圧制さえもまかり通るのだ、というメッセージですな。もうひとつはパドメが話していたところだと思うけど、「もし自由と民主主義を謳う共和国がすでに内部で腐っていたら……」などと台詞もあった(こちらもうろ覚え)。言うまでもなく、これらの台詞が示唆しているのは現在のアメリカで、実際どこだかのインタビューで監督がそういう意味だとも答えていた。
         いずれにしても、こういうSF娯楽作品の中にさえ政治的・社会的な主張を作品に込められるところにクリエイターとしての信念や道徳観を感じた。そういうことをすべてすればいいというわけではないけれども、やはり一流のクリエイターはそういうことを自然にするのだなと今さらながらに思ったりもした。
         それに引き換え日本は(また比べるけど)、いまだそういったイシューに関しては、あまりにコマーシャリズムが強いからか、いまだタブー感が強い。そういうところが……残念だと思う。
        (でも、実のところ、このサーガでは「帝国」とか「シス」が暴力を誇示して圧制をしていたということになってるけど、具体的にどういう悪いことをしていたのかって(惑星オルデラーンを爆破したこと以外)あまり多く描かれてないんだけどね)
        | culture | 22:47 | comments(1) | trackbacks(0) |
        ロックフェスの割れ窓理論
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           もう2週間前の話だけれど、先日、6年ぶりに苗場のフジロックフェスティバルに行ってきた。最終日の1日だけ。しかも、徹夜で行き、会場で爆睡し、徹夜で帰ってきて仕事、という苦行のような旅程(いったい何にし?)。まぁ、そういう苦行はいつものことだからいいんです。
           で、音楽どうこうといったことも今日は省く。
           それよりもちょっと驚くというか、違和感を覚えることがあった。何かと言えば、会場周辺が相当きれいだったこと。会場内でゴミがほとんど見当たらなかった。
           たしかに、雨が降って泥だらけのところもあって、広げたビニールシートが汚れていたり、たまに落としたようなバッグとかが転がっていたこともある。
           でも、明らかに「捨ててやる!」「関係ねえよ!」といった感じで捨てられたポイ捨てゴミは少なかった。ほとんどなかった。これは現場で見ると結構驚く。
           それをコントロールしているのは、たぶん会場のあちこちにあるでかい分別ゴミ捨て場。これがあるから、みんなちゃんと捨てに行く。あと、会場の入り口でも(東京都推奨のような)ゴミ袋を渡されているので、そこにゴミを捨てやすくなっているというのもある。
           で。
           そういう行為はもちろん悪いことではなくて、誉められるべきことなんです。
           誉められるべきなんですが、なんだろう……何か過剰に規律正しすぎる気がした。んですよ。
           いまさら「ロックなんだから、オレのやりたいようにやらせてもらうぜ!」みたいなことを言う人もいないだろうし、「ムチャやってこそフェスだ!」みたいな感じでもないだろう。
           でも、コントロールが行き渡っていて、規律訓練されている感じがね、した。お行儀よすぎるというか、ものわかりよすぎるというか。
           それを感じているのは、自分だけじゃなくて、他にもけっこういたようだった。というのは、派手で楽しげなゴミ捨て場横でぼんやりとタバコを吸いつつ、ゴミを投げ込む人を見ていたら、その様子を撮影する人が何人もいたからだ(10分間に5人くらいいた)。
           で、撮影した後で、自分の横でタバコを吸いだしたガイジン男性(30代?)がいたので、なんで撮影したの?と聞いてみた。彼は「よいシステムだね。よくできてる」と答えた。「クリーンだし、リサイクルまでできてるとはすごいよ」と。
           その時に思ったのは、「割れ窓理論」のこと。割れ窓理論とは、荒れた学校とかで割れた窓があると、「だったらおれも1枚割ってもいいべ」と思うヤカラが増えて、ますます窓を割る人間が増える。そこでその心理を裏返して、施設を整備して割れ窓をなくしてきれいにすると、そこから犯罪行為などが減る現象──のこと。クリーンにしていけば、自然と規律的になるということだ(新宿駅西口に「歩く歩道」を設置して、ホームレスを追い出したのも同じ理論だと思う)。
           無法者ばかりはびこって、迷惑な行為をするような人間が増えるのは困る。傍若無人な振る舞いをされるのも避けられるべきだとも思う。
           でも、なんだろう。何かすごく不自由な感じもする。
           そう思うのは、ぼくだけだろうか?(このひねくれ者め!)
          ゴミ捨て場
          | culture | 03:22 | comments(4) | trackbacks(1) |
          映画の発想とか文化の違いとか。
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             ここ最近見たい映画がラッシュ状態で公開されている。『エピソード3』『宇宙戦争』といった大作はもちろん、『ミリオンダラーベイビー』『アルフィー』『ヒトラー』『さよならさよならハリウッド』……と続いている(順不同)。どれも行けてないのだけど、これだけ溜まるとちょっとつらい。
             で、昨夜捗らなくなった仕事の間に、「あ〜あ」とぼんやりメシを食べながら新聞を覗いてみたところ、そこにでかい日本映画の広告を発見。載っていたのはマンガちっくな、というか、いかにもお化け屋敷に出てくるようなチープな装いの妖怪たちで、なぜかあの豊川悦司までブキミな格好をしている。タイトルは『妖怪大戦争』……。
             どうしてこうなってしまうのだろうと。
             この飛躍はなんだろうと。
             見なくても、この映画のシケーな感じはわかり、もうお腹いっぱいになった。
            (後で調べたら、荒俣宏原作でおもしろ芸能人がいっぱい出る子ども向きだった)
             いや、言ってしまえば、SWに出てくる異星人だって、宇宙戦争の火星人(?)だっておかしな存在。それはわかるのだけど、向こうの作品はある程度物語を読むうえで納得できるベースを先につくっている。一方、どうもむかしから日本映画というのはリアリティに乏しい。リアリティの根拠と空想物をつなぐロジックに弱い。言えば、飛躍しすぎ。
             わかりやすい例は、たとえば同じ年に公開された『ジュラシック・パーク』と『REX』。あのリアリティの濃淡の差は、SFXと特撮という話じゃなくて、何か根本的に出発点が違っていた。当時テレビの予告CMで安達祐実が「れっくす〜」とか言ってた覚えがあるけど、いや、れっくす〜って言われても……。
             要は、日本の映画作品では唐突にヘンなものが出現する。そして、出ても許されてしまう環境がある。そこが不思議。
             というか、振り返ればだいたい昔からそう。ウルトラマンとか存在の意味や目的もよくわからず、出身や発生の根拠もM78星雲出身ということくらいしかはっきりしていない。そもそも彼は全裸なのか? M78星雲とは全裸でも許される社会なのか? スペシウム光線ってどういう原理なのか? 
             たいていそういうことは曖昧なまま物語が進む(もちろん自分も小さい頃はそれで喜んでいた)。ゴジラとか仮面ライダーとか根拠がわりに発生の根拠がはっきりしているものはあるけど、あまり多くない。
             そういう設定の詰め方が、向こうの人は決定的に違う。もちろん作品によって差はあるけど、設定段階でかなり根拠づけの作業をしている。だから説得力もリアリティもある。
             以前、任天堂のポケモンの取材をしたときに、そのニーズを感じたこともある。ポケモンの映画をアメリカで公開するときに(アメリカでもものすごい人気だった)、クライマックスで主人公だかが死んだ後でピカチュウが泣いてその涙が主人公に触れたら生き返る、といった流れがあった。ところが、米国版にするときにそのシーンは「まるで意味がわからない」とモメたのである。日本では、なんとなく合意のもとに「奇跡だよね」と思えるところが、向こうでは根拠とロジックがはっきりしないので「No..., I don't understand...」となってしまったと。それで仕方なくそれより前のシーンで、さりげなくピカチュウの涙には人を回復させる奇跡の力があるのだ、というフレーズを誰かに語らせたとのことだった。ドラえもんがアジアでは受けるけど、欧米圏ではあまり受けないのも同じ構造だと思う。ロジックがつながっていないものは理解されないのだ。
             似たようなことは、ホラーでも共通している。『リング』とかもそうで、通常こういうよく根拠とロジックがはっきりしないものはアメリカでは受けない。ところが、『リング』に関しては(プロデューサーの一瀬隆重氏の話によると)、なぜビデオの呪いなのかという意味が曖昧なところが、逆にあのときには他の米ホラー映画にあまりないだけに受けたとのことだった。いわば例外としての受け方だったわけだ。その意味では、そういう曖昧なところに強みはあるとは思う。千尋とかだってそうみたいだし(未見)。
             森羅万象、八百万の神、根源的には自然崇拝……みたいなことを考え合わせると、そういう日本の曖昧な「だよね」的暗黙の合意感があって、たいていの日本のSFやホラー作品はつくられているのだなと思える。
             欧米の作品がすべていいという単純な考えはまったく思っていないが、個人的な見方からすれば、そういうロジックの詰めの弱さに総合的な日本映画の作品としての弱さはあるように思う。
             ただ、そういう曖昧だったり不条理だったりする存在を許す文化は(村上春樹の羊男とかだってそうだし)日本には脈々と流れている。そういうものなのだ。だから、ここで早晩急には変わらないとは思う。

             でも、どうかな。ビジネスとかコンピュータ文化にしてもロジックでできていて、いまの若い人はそういうものに親しんで育っているので、そういう人たちが新しい作り手となる頃には、つくられるものは発想も変わるのかなとも思う。それが全体として日本文化の強みになるのか、弱みになるのかはわからないけど。
             ただ、普通に考えて、やっぱり『妖怪大戦争』みたいな発想としてチープな創作物にはあまりおカネを払いたくないなぁとも思う。
             という曖昧な書き方が許されるのも日本語のいいところですね。てか、長いな。
            | culture | 07:40 | comments(16) | trackbacks(0) |
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