2007.04.12 Thursday
So it goes...

ついいましがた表示されたニュースで知った。作家のKurt Vonnegutが亡くなった。享年84歳。記事によると、数週間前に転倒した際に脳にダメージを負ったことが原因らしい。
それでも84歳まで生きたのだから、ほぼ同世代のPhillip K. Dickと比べれば十分すぎるくらい十分かもしれない。
Vonnegutは、自分の構成要素としては欠かせない人だ。
はじめに読んだのは『チャンピオンたちの朝食』だった。あまりに散文的な構成でわかりにくく、いったん放り投げかけたが、その途中途中で挟み込まれる劇中作家のKilgore Troutの物語がおかしくて最後まで読みつづけた。スローラーナーである私は、最後にいたってようやく彼の真意に気付き、慌てて再読した。それから彼の本はすべて読むことになった。
いまではこの『チャンピオン〜』と『母なる夜』、『ジェイルバード』、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』はボロボロになっている。いずれも何度読み返したかわからない。
彼の作品で通底するテーマは、(多くの優れた作家がそうであるように)どの作品でもあまり変わりがない。繰り返し繰り返し、同じテーマを複層的に語っている。
戦争がバカげたことであること、脳内のちょっとした化学物質で人はおかしくなること、よかれと思ったことが災いにもなること、おカネが有害なものになりうること、世の中の価値観はかなりいい加減なものであること……。
そして、愛よりも親切のほうが大事であること。
そんなテーマが時代や場所や物語を変えて、何度も語られた。いずれもひとつのパラグラフにアイロニカルなユーモアを忍ばせており、読み進むうちは頻繁に腹を抱えさせれる。
ストーリーの中で揶揄される対象は、政府、財閥、軍部、選挙、栄誉……と文明社会で基盤とされるもので、笑っているうちにそのシステムがもっているおかしさに気付かされる。
だが、最後にはたいてい切ない結末が待っている。そして、読者はページの道々で彼が語ろうとしていたことに気付かされる。
いまから20年ほど前、まだ青く多感だった頃、私が彼の作品から教えられたものはかなり大きい。
Vonnegutを読んでいてとても好ましかったのは、自らが生み出したキャラクターが作品を越えて登場するシステムだったことだ。
作家のキルゴア・トラウト、富豪のエリオット・ローズウォーター、画家のラボー・カラベキアン、弁護士のマタハリ(だったかな?)……。ある作品では主人公を務めたキャラが別の作品では脇役として登場する。ファンの読者からすると、そうした人物が出てくると「あぁ、あいつじゃん!」と親しみが湧いた。
これは手塚治虫(彼も自分の重要な構成要素の一人)のスターシステムの方法と似ている。ひげおやじ、ロック、ケン一くん、ゲタ警部、スカンク草井、ハムエッグといったなじみのキャラが出てくるたびに、だいたいどういう存在かがわかる。
こういう仕組みは映画の世界では顕著にある。Woody AllenやHitchcock、黒澤明……。その気持ちはよくわかる。そのキャストに思い入れがあるのみならず、作りたい世界が明確にあるために、キャストの像もはっきりしているのだ。
実際、Vonnegut自身、劇中作家のキルゴア・トラウトに並々ならぬ思い入れがあったことは『タイムクエイク』で告白している。
2年くらい前はシカゴトリビューンだったかでウェブでも連載をしていて、ブッシュのイラク侵攻にも痛烈なアイロニーを込めて寄稿していた。老いてなお意気軒高だなぁ(しかもいったんは断筆していたのに)と、その作家魂に打たれていたものだ。
それからしばらく見なくなってしまったが、突然今日の知らせを見ることになった。
できれば、つまり、何かの機会さえあれば会っておきたかった一人だった。でも、残念ながらその願いはかなわなかった。
いま彼のウェブサイトを見たら、黒枠に飾られて、扉の開いた鳥カゴの絵が描かれていた。
Vonnegutはとうとう地球(現世)という鳥カゴから飛び出したジェイルバードということなのだろう。エスプリもきいた意味の深い絵だと思う。
思えば、彼の作品では、たいてい最後には主人公は解放された世界へと旅立っていた。『スローターハウス5』しかり、『タイムクエイク』しかり、『ガラパゴスの箱船』しかり……云々。
今ごろは母や姉や父や叔父、そしてトラウトらと、テーブルを囲んで笑い合っているのかもしれない。
代表作『スローターハウス5』では、劇中で死者が出るごとに、その多さに諦めを込めて「そういうものだ(So it goes)」というフレーズが(しつこいくらい)記されていた。
さっきいくつか検索してみると、すでに同じようなことを書いているブロガーや記者(英Guardian紙)がいた。
ここは先人にならって、私も書いておきたい。
そういうものだ。と。